私はアイドルオタクのモブ 2

※全てにおいてフィクションです







「グッズ列、そんなに並んでなくて良かったね」


時刻は午前10時を少し過ぎたところだった。

開演時刻の13時まで時間を持て余した私と、オタク友達・しーちゃんは、会場近くの喫茶店で遅めの朝食兼早めの昼食をとっていた。

今日はツアー初日の東京公演、ここでグッズを買い逃したらペンラもうちわもタオルも何も持たないままの参戦になってしまう。

否、一応前回のライブグッズを予備で持ってきてはいるのだ。だけど、「今回のライブ」には「今回のライブグッズ」で挑むのが私の信条だ。

そういった悲劇を回避するため時間に余裕を持って行動したものの、拍子抜けするくらいスイスイと買い物を終えてしまって現在に至る。


ホットコーヒーを片手にスマホを突っつくしーちゃんの指先は、パッションレッドをベースに薔薇のアートで彩られていてかなりド派手だ。

彼女は大学時代からの友人で、現在は手先の器用さを活かして都内でネイリストの仕事をやっている。

美容関係で働いているからか、元々のセンスが良いからかはわからないが、彼女の見た目や服装・持ち物からは全くと言って良いほどに「中学生のアイドルを追いかけているオタク臭」は感じられない。

以前「ライブ用に買ったんだよね」と言っていたchl○eの大きめのバッグから、うちわの柄が見えているのがなんだか不釣り合いで思わず笑ってしまう。


『グッズ列離脱してお友だちと喫茶店〜。今日アリーナなんだけどヤバすぎる。あー早く会いたい♡』


とかなんとかSNSに呟いてんだろうなあ。

今日の為に仕上げたんだろう、彼女の気合い満々のネイルと伏せた瞼を縁取るマツエクを交互に眺めながら、私は私でついさっき手に入れたばかりの大空あかりちゃんのフォトセットを開封する。

今日はツアー初日、つまりツアーグッズの解禁も今日。

一番新しい初めて見る姿のあかりちゃんにワクワクしながら、5枚1組の写真をゆっくり順番に味わっていく。店員や他の客に見られないように、机の下でこっそりと。


「もう全部ビジュ最高だわ。ドレスもほんとセンスやばい…天才…」


大空あかりの写真なら、彼女がデビューした時からコツコツと買い集めていて、無印の写真バインダーの数が二桁になるくらい持っている。

撮影の場数を踏むごとに写り方が上手くなってるし、表情も洗練されている。

その成長が、もう、自分の子供かな?って思うくらい嬉しくて、えっ?数ヶ月でめっちゃ綺麗になってない?って瞬間が、ファンをやってて一番滾るのだ。

もう一通り呟きを終えたのかスマホを伏せたしーちゃんに、自担の最強に可愛い姿をお裾分けしたくて写真を1枚ずつ手渡してあげる。

それと交換する様に、しーちゃんは自分が購入した写真を1枚ずつ見せてくれた。


「でもさ、これから後3時間くらいで実物を観れるんだよ?間近で、ヤバくない?だってアリーナAブロックとか…どんだけ近いんだよ。通路側だったらどうしよう…耐えられない」

「しーちゃんなんで、今更そんな事しみじみ言うの…心臓が持たないよ…」


ライブ前の小躍りしそうなウキウキと、現実じゃないみたいな実感のなさ。

恐らくオタク特有だろうこの半々の感情は、なんて呼んだら良いんだろう。

1番新しい初めて見せる姿のあかりちゃんが素晴らしい事は確実なんだけど、自分がそれを目の当たりに(それも神席で)する事はなんだか他人事の様に感じられるのだ。


「チケット、そこそこ倍率高かったけど…やっぱり生で観るのが一番だもんね」

「ライブは一体感だからね…」



これから後3時間も経たずに始まる、最高な空間を想像する。

そうすると、どちらともなく喋らなくなるし、各々にこれから起こりうる「ヤバさ」を噛み締めた。



13時になれば、 客電が落ちる。

ペンライトの光が海みたいに浮かびあがる。

そんな瞬間が、私は堪らなく好きだった。

そして、割れんばかりの歓声の中登場する、一番新しい姿の「アイドル」。



程なくして、注文していたエッグベネディクトが丁度良いタイミングで運ばれてきたけれど、全く味がしなかった。



私はアイドルオタクのモブ

※全てにおいてフィクションです





平凡、普通、特筆する事は無し。

割とその辺に、わざわざ探さなくてもどこにでもいるような独身OL。

そういうものが私の肩書きだと思う。

都心から2駅離れた家賃6万弱のワンルームを城にして、新卒で入社した小さなデザイン会社はかれこれ勤続6年目に突入した。

28歳、今年の冬には29になる。

近頃の悩みといえば、親族がやんわりと結婚を急かす事。その上もう2年近くまともな彼氏がいない事。そして更に、同僚のキモデブ男(35歳独身)と趣味が被っていた事が先月嫌々参加した部署の飲み会で判明し、かなり強引に交際を迫れている事。

これでも一応23~4歳の頃は、そこそこの数の男が競う様にご機嫌を取ってきた。

美人、では決してないが、ブサイクというにもパンチが足りない凡庸な顔面の上、性格も良いとは言い難いけれど。

 

 

自分は、この世界の主人公じゃないんだって、薄々理解し始めてきた、三十路目前の今日。

日曜日の午前6時半。

普段通りの休日だったら今頃は布団の中だけど、眠気&疲れ&平日に積もりに積もった怠さなんか全部全部吹っ飛ばしてドレッサーを覗き込む。

ケチって特別な時にしか使わないエス○ーツーの1枚1700円のシートマスクを顔から外し、これまたいつもならチャチャッと済ませる化粧水&乳液を丁寧に丁寧に肌に馴染ませた。

5日前に百貨店のコスメカウンターで購入したけれど、デイリー使いには不向きと判断したエスティー○ーダーのダブル○ェアをここぞとばかりに使用するか、それともR○KのUVリキッドファンデでいつも通り仕上げるか…。

そんなこんなを思案しながらスマホに表示された時刻を見ると、午前7時の5分前。

 

「あっ…やば。お天気の時間じゃん…」

 

慌てながらも慣れた手つきでチャンネルを選局すると、ちょうどお目当の天気予報コーナーが始まったところだった。

3ヶ月程前からこのコーナーは新人アイドルの女の子が「お天気キャスター」を務めている。

「「きょうのお空はどんなそら〜?」」

 お天気キャスターの少女が口ずさむ、単調だけれどどこか脳内に残るメロディ。

それとユニゾンする、TVの前の28歳独身OLの声。

 少女は都心の気温を伝えるけれど、私の興味はそこではなかった。

 

 

「あ〜…大空あかりちゃん、今日も可愛いなあ。大空お天気始まったばかりの頃はまだまだ全然だったけど、コメントもしっかりしてきたし、何より表情が活き活きしてきたよねえ。てか今日昼からライブなのに…朝から頑張ってて偉いなあ。もう本当、丸呑みしたいくらい可愛い。お天気コーナーの最後に今日のライブの告知とかするかな?てか、スミレちゃんとひなきちゃん、今頃お天気見てるかなあ?それとも移動中かな?リハまではまだ時間あるよね?あ〜〜〜……ほんっっっとみんなかわい」

 

 

私は、この世界の主人公じゃないし、普通平凡どこにでもいる感じ。

普通に生きて普通に結婚して普通に死ぬ。

でも、彼女たちは、アイドルたちはそうじゃない。

彼女たちは、みんな主人公なの。存在するだけで輝いてるの。

生き様全てが「物語」として紡がれる、「アイドル」という運命を背負っているの。

そして私はそれを、その人生を、「ファン」として垣間見る事で、その非凡感を味わっているの。

 

 

「今日アリーナAブロで神席だしなあ…あかりちゃんに失礼のないように綺麗にしないと」

再び鏡の前に向かった私は、やっぱりこっちと手に取ったエスティー○ーダーのダブル○ェアをムラなく顔面に伸ばし、SNSで大人気のフェイスパウダー・レフ粉を大きめのブラシでふわっと肌に纏わせた。自然とにやける口元にイヴ○ンローランのルージュを。

全ては、なんてことない日常、人生に、キラメキを与えてくれる「アイドル」のために。